所謂御伽草子の代表的作品の一つで、一般的には『文正草子』と呼ばれる。常陸国鹿島大明神に仕えていた文太(後に文正)が大長者となり、授かった娘が帝に嫁いだために、最後は宰相の位にまで昇ったというめでたい話である。濃厚な祝言性を有し、特に文正の娘の果報が婦女子に歓迎され、婦女子の正月の読み初めの吉書として嫁入り道具に加えられるなど、豪華な絵巻・絵本が数多く製作された。書名は、「しほやきぶんしやう(塩焼文正)」「ぶんしやう(文正)」「文太物語」など、さまざまな名が残されている。
おおよそあらすじは以下の通り。
常陸国鹿島大明神の大宮司に仕える文太という正直者の雑色が、大宮司の怒りを買って追放され、塩焼く浦に辿り着いて塩屋に雇われる。後に塩釜を貰い受けて自ら塩を焼いて売ると、評判の塩として高価で売れ、たちまちに大長者となって文正と名乗るようになる。
再び大宮司に召された文正は、子宝に恵まれないことを悲しんで、夫婦で鹿島大明神に参詣し、二人の姉妹を授かる。姉を蓮華、妹を蓮と名付け、姉妹は才色兼備の美女に成長する。ところが、二人の姉妹は、関東八州の大名、大宮司の子息、常陸国国司などから求婚されるものの、まったく受け付けようとしない。
そんな折、都で姉妹の評判を聞いた二位の中将が京商人に身をやつして常陸国へと下る。文正の屋敷に着くと、物売りの口上で文正を面白がらせ、その館に宿を与えられる。その夜、首尾よく寝所に忍び入った中将は、素性を明かして姉君と夫婦の契りを結ぶ。大宮司を招いて開いた管絃の席で、京商人が実は二位の中将であったと知った文正は狂喜する。中将は姉君を都へ連れ帰り、妹君も帝に召されて、やがて皇子を出産する。上洛した文正夫妻も、文正は七十にして宰相の位に昇り、妻も二位殿と仰がれ、一族は栄華をきわめた。
本話は渋川版御伽文庫計二十三篇に収められるだけでなく、絵本・絵巻を含む数多くの伝本が残されている。話の大筋はほとんど変わらないが、多数の伝本故に数多くの異なる本文と挿絵が存在する。製作依頼に応じて、要約や省略、増補が繰り返され、さまざまな姿を残すようになったものと思われる。
その中で、明星本は、岡田啓助氏が原本の姿を多く伝えているとされた寛文四年長尾平兵衛刊『ふんしやうのさうし』の本文に近く、貴重な伝本と言えよう。特に、文正の娘たちと鹿島大明神との因縁の深さが幾度となく語られる点で、御伽文庫等が出世譚を色濃くするのとは異なり、神仏思想の因果応報を強く印象づけている。その意味では鹿島大明神の霊験記とも言える作品である。
本文は、わずかに文意が通らない箇所があるが、挿絵は極彩色で細部まで丁寧に描かれ、優美さ、上品さを強調したものとなっている。
『文正草子』の奈良絵巻・絵本は、現存最古の奥書(寛永八年)を有する筑波大学蔵絵巻(二巻)をはじめとして、きわめて数多く残されている。それだけめでたい絵本・絵巻として求められ、大切に扱われてきた証しでもある。