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コラム2 塩焼き(上巻)

【唯一の塩焼きの風景】
 文太は大宮司に暇を出されて塩焼きになり、塩を売って長者になる。塩の販売で長者になった「文太長者」の物語が鹿島に存在していたことは、すでに論じられている。

 しかし文太の出世物語ならば、塩焼き時代の苦労を詳しく書けばよさそうなものだが、塩を焼く薪を大力で運んだというだけだ。挿絵にも塩焼き風景があるものの、文太はすでに長者の文正となって、屋敷の内に描かれているだけだ。たいして塩を焼く場面がないのに、なぜこの物語は「塩焼き」の文正でなければならないのだろうか。

 京都には海がない。だから都人にとって、海水を焼いて塩を取る「塩焼き」は、面白い異郷の風物だった。平安時代、光源氏のモデルの一人ともいわれる風流貴公子の源融は、自邸の庭に塩釜の景色を模して作り、わざわざ難波から海水を運んで塩を焼かせたという。在原業平の物語にも汐汲の姉妹、松風と村雨との恋があり、お伽草子や能にもなっている。

 実際の塩焼きは昔も今も重労働で、風流などという言葉で片付けられるものではなかろう。それでも文正の物語に加えられた「塩焼き」は、都から離れた土地柄を感じさせる、おもむき深い味付けとなっていたのである。