column index 
コラム5 主人公の着衣(中巻)

【商人に身を「やつし」た中将一行】
 高貴な人物が卑近な身分の姿になる設定は、『文正』の二位の中将一行だけに限らない。義経一行の山伏姿、北条時頼の旅僧、そして水戸黄門のご隠居様、このような変身物語はいつの時代も好まれる。(ちなみに二位の中将だけが笠を被っているのは、能の『安宅』の笠で顔を隠した義経を意識しているのだろう。)政治的な巡察、尊い方が自分の身辺に居るかもしれないという期待、そして最大の楽しみが、この人が身なりを変えたらどうなるかという、着せ替えごっこである。歌舞伎の「やつし」と「見あらわし」の変身を連想するとよいのだが、この『文正』でも中将一行の商人への「やつし」を、物売りの口上と同時に、挿絵の変化でも楽しんでほしい。

 貴人から庶民への変身は、本文では狩衣や藁靴に着替えるというが、挿絵ではさらに王朝の装束から当世の風俗へと、時代まで超えてしまっている。冠直衣はどこへやら、月代もすっきり剃ったちょんまげに、紋付きの羽織、縞柄や小紋の袴という、江戸の町人風のお洒落である。中将はさしずめ縮緬羽織の若旦那、あんなに広く月代を剃ってしまったら後で冠が載らないとか、堅いことは言わずに、ここは中将一行のコスプレを楽しんでほしい。