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コラム8 文正という「おやじ」(下巻)

【上品に狼狽している挿絵の文正】
 物語のご都合主義から生まれた人物なのだから、文正の性格分析など考える方が愚かというもの。それでも物語の文正は、単純で愛すべき男である。

 大宮司に暇を出されれば恨みもせず出て行くし、子宝が大事と言われればすぐ古女房を追い出そうとし、生まれたのが息子でないと聞けば、約束が違うと女房にも大明神にまでも雷のように怒鳴り散らす、しょうがない男である。しかし妙に素直なところがあって、追い出しかけた女房に言い返されて、仲良く大明神に子授け祈願に出かける。次女の誕生を「例のこと」と言い逃げる女たちとの問答も珍妙である。それでも説得されれば一転し、姫君たちを大甘に大事に大事に育てる、賢くも立派でもないが可愛げのある「おやじ」である。

 それゆえに、気位の高い娘たちが高望みしてかつての主人の縁談を断るのにおろおろしたり、目下と思った婿殿がはるかに格上であることに驚愕して血迷ったりするところは、出世物語とは思えぬ可笑しさがあり、今でもありそうな父親像に親近感を覚えさせる。中将達の奏楽を聴く人々に杖を振り上げるが、聞き惚れて杖を捨て、粗野な賞め言葉を連ねるのも何かの芝居にありそうだ。特に明星本の『文正』の本文は、このあたりの応答が面白い。

 惜しむらくは挿絵である。上品なこの絵巻では、文正は雑色の時代から最後までほとんど同じ顔、娘が四十過ぎで生まれたというのに、年も取らねば苦労の跡形もない白塗りの貴族顔である。天皇の外戚になるような貴人は引目鈎鼻に描くのが決まりであるから、間違いではないのだが、せっかくの苦労人の出世話なのだから、おやじ顔の文正も見てみたかったと思う。