百三十四段「高倉院の法華堂の三昧僧」が鏡をつくづくと見て我が姿の醜さを厭い、勤行に励むのみで人と交わらなかったことを評価し、おのれを知ることの要を説く段である。ただし本図の僧の顔はさして醜悪ではなく、微笑んでいるようにさえ見える。
 
上冊 画像番号 119
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