「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」で始まる『平家物語』は、源平の合戦を軸に平家の栄華と没落を描いた、日本を代表する叙事文学作品である。本学所蔵絵本十一帖は、『平家物語』の本文に各場面を極彩色で描いた挿絵を豊富に添えている。残念ながら巻十二・灌頂巻に相当する一帖を欠くが、その他には脱漏や汚損がなく、きわめて美麗な伝本と言える。
『平家物語』は、「祇園精舎」の段で諸行無常盛者必衰の理を説いた後、平忠盛の昇殿を契機としてその嫡男・清盛の代に平家が頂点を極めるようになるところから始まる。爾後、繁栄を極める平家と反感を抱く後白河院とその近臣たちの対立、後白河院の幽閉、後白河院の皇子・高倉宮以仁王の平家追討の号令と落命と続くが、福原遷都、頼朝挙兵の報の後、清盛の死により平家の命運は大きく傾いていく。木曾義仲の蜂起に都落ちして一旦西国へ逃れた平家に対して、後白河院は義仲の追討と源頼朝の上洛を画策する。頼朝から派遣された範頼・義経は義仲を討伐し、次いで一ノ谷合戦、屋島合戦に勝利して、平家は長門国・壇ノ浦へと逃げ落ちる。
これら源平の合戦が物語の縦糸とするならば、横糸として事件や人物の余話および和漢の故事、たとえば鬼界島に流罪となった俊寛僧都の許を訪れる有王や、頼政の鵺退治、隆房と小督の悲恋、勅撰歌人・忠度や琵琶の名手・経正の都落ちのさまなどが挟まれる。巻十一は、母・二位尼と愛息・安徳天皇の入水を見て後を追う建礼門院徳子が源氏に捕らわれ、宗盛・重衡などの平家の武将が次々と処刑されるところで巻を終える。
『平家物語』には多くの写本が伝えられ、さまざまな分類が試みられているが、おおむね、琵琶法師の語りに依拠して成立した諸本の系列(語り本系)とそれ以外の系列に二大別されると言ってよい。現在一般に読まれている『平家物語』は、南北朝時代の琵琶法師・覚一が完成させたという覚一本に由来する高野本(東京大学国語研究室蔵、高野辰之氏旧蔵)であり、江戸時代に古活字本や絵入り版本として流布した本文の系統もこれとほぼ同じである。
本学所蔵の絵本の本文はこの流布本系統とほぼ同一と言ってよい。丁寧な書写ではあるが、ところどころに書写の際に生じたと見られる脱文・脱字や衍字があり、細字による補入がまま見られる。挿絵は、絵の具をふんだんに使って上品な絵柄に描き、他の平家物語絵巻・絵本に比して優美さが強調されるものとなっている。
『平家物語』の絵巻・絵本は、林原美術館所蔵三十六巻がよく知られているが、他にも北岡文庫(永青文庫)所蔵三十六巻、真田宝物館所蔵三十帖、神奈川県立博物館所蔵六帖(全二十四帖の内)など、比較的多くの伝本が存在している。
これらの絵巻・絵本は、源平の武士たちを勇猛果敢に描き、時には残酷な場面までも克明に絵画化しているのに対して、本絵本の挿絵は明らかに異なる志向を有している。本研究がきっかけとなって残る一帖が見出され、その全貌が明らかになることを切望するのみである。
[付記]
本サイト開設時に、本学所蔵の『平家物語』絵本は巻一と巻十二の二帖を欠く全十帖であった。2014年春、本絵本の巻一が市場に出現し、関係する方々のご好意の下、明星大学図書館で購入することができた。そこで、他の巻と同様に撮影して、巻一の図版写真に釈文・図版解説等のデータを添え、関連するページを修正した上で、2015年4月公開した次第である。巻一の出現と収蔵の経緯についてはコラム1を参照のこと。