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コラム10 異時同図(第五巻)

【荒法師の文覚は止めに出た者共を投飛ばし立向って大暴れ】
 現代の我々は、絵画とは、写真を撮るようにある一瞬を描くものだと思っている。しかし昔の絵の中には、起きた時間の異なる幾つかの出来事を一つの画面に描きこんで、主人公の動きや物語の急な展開を表すことがある。

 例えば文覚が捕まる場面は物語の文章では、まず出てきた血気盛んな若者が烏帽子を打ち落とされ、ほうほうの体で引き下がった後、刀を抜いた文覚に武者所の男が対向し、組み付いた後に助っ人たちが寄ってくる。しかし挿絵ではこれらの出来事を一場面に同時に描いている。画面に文覚を中心として、倒れた者、取り押さえようとする者、走り来る助っ人と、三場面の人物たちを配することで、たった一人の文覚に手こずって大騒ぎの状況が感じ取れるのである。

 こうした表現を美術史では「異時同図」という。この本でも、例えば「鵺」の挿絵では、怪しい黒雲が御殿の屋根を覆う場面と、怪物が捕まった場面の二つの異なる時間の場面が同時に描かれている。西洋的な絵画理論では間違っているかもしれないが、感覚的にはすんなりと受け入れられてしまう、コマで分ければ動的なマンガ表現になりそうな、このような「異時同図」はよく見れば他にもある。探してみるのも一興であろう。