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コラム16 名所旧跡(第十巻)

【平維盛一行が参拝する那智の瀧】
 『平家物語』本文には、第十巻の東下り、高野山や熊野参詣のような、名所旧跡を巡る記述が含まれている。軍記としての平家の合戦でもなく、王朝物語としての雅な恋を語るでもないこれらの場面は、現在の我々には道草にも思えるのだが、旅行記として、聞く人々に諸国の名所や社寺の有様を伝えるという役割をも担っていたのであろう。

 それぞれの名所を語る箇所は、いかにも耳に快い美文であるのだが、さてこれを挿絵に表すとどうだろうか。例えば第三巻の高野山の大塔や、厳島の回廊は、一見それらしく描いてあるが、挿絵の絵師が現地へ行ってスケッチしたのではあるまい。何らかの既存の名所絵をもとに、これらの建築を描いたものと思われる。

 絵師が本物を見て描いたのではないと判るのが、この那智の滝である。たとえ写真でもこの滝を一度は見たことがある現代の我々は、那智の滝がはるかに切り立った崖から棒の如く落ち下る様子を知っていて、一目でこれを絵空事と見抜いてしまう。けれども当時の人々は、挿絵に厳密な写実を求めたのではない。物語にふさわしい背景として、それぞれの名所の雰囲気が味わえれば、よかったのであろう。