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コラム18 描かれなかったもの(第十一巻)

【第十一巻 安徳天皇入水の箇所の本文】
 安徳天皇の入水は『平家物語』中でも最も悲劇的な場面であり、その記述も詳細である。覚悟を決めた二位の尼の、鈍色の二衣で袴の股立ちを高く取って、神璽を脇に挟み宝剣を腰に差した凛々しい身支度、豊かな黒髪をゆらゆらさせた幼い天皇のきょとんとした様子、山鳩色の御衣に髪をみずらに結って、泣きながら小さな手をあわせ念仏するところも、淡々と具体的に述べられているゆえに涙を誘うのである。

 ところがこの場面は、明星大学本の挿絵にない。挿絵の頁が抜かれた様子もなく、これに続く建礼門院の入水や宗盛親子の様子、教経の入水場面は描かれているにもかかわらず、なぜ物語のクライマックスである安徳天皇の入水が描かれなかったのであろうか。

 この絵本の中でも、天皇はほとんどの場合、御簾で上半身が隠されて顔が見えないように、絵巻物には天皇のような身分の高い人をあからさまには描かないという慣習がある。しかしその理由だけであれば、海へ向かう二位の尼と安徳天皇を、後姿で表すこともできたのではないか。実際、他の物語の絵巻では天皇を後姿や木の陰にするものもある。

 明星本が安徳天皇をそのような表現でさえ描かなかったのは、この美しくも悲しい場面をじっくり言葉で聞かせるために、あえて生々しい挿絵を入れなかったのかもしれない。