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コラム4 挿絵の時代考証について(第二巻)

【流罪の身で高僧姿のままの天台座主明雲】
【畳が敷き詰められた水墨画の襖の平清盛の館】
 この挿絵が描かれたのは江戸時代、物語の舞台となった平安末期より五百年も後である。登場人物も背景も王朝風俗で描かれているとはいえ、平安時代にはありえない箇所もある。

 例えば当時の御所や貴族の館には、あれほど畳が敷き詰められてはいない、流罪になった天台座主明雲は還俗したにもかかわらず高僧の法衣を着ている、あるいは館の襖に当時はまだ無いはずの水墨画がしばしば描かれているなど、細かな誤りを探せばきりがない。

 五百年も昔の出来事を描くということは、現代の我々が戦国時代のドラマを、たった一人で演出から衣装や背景まで担当するようなもの、時代考証が及ばないのは止むを得ない。

 また、画面効果のため、絵を見るものに判りやすいように、あえて当時の現実とは異なる描き方をした可能性もある。館の床は板張り交じりより青畳だけの方が、極彩色の襖絵よりも水墨画の襖の方が、華やかな貴族の衣装の色が映える。ここで初登場する明雲がかつて天台座主であったことを説明するために、わざと朱の法衣に描いたのかも知れない。

 「間違いだらけの平家物語絵」とあら捜しをしながら見るのも、さらに、なぜ絵師がそのように描いたのか想像してみるのも面白かろう。