『一目玉鉾』には人物が数多く描き込まれている。旅人や侍、漁師などさまざまであるが、基本的には江戸時代の人物が描かれているようである。そんな中、この「宮城野」の箇所だけはやや事情が異なるようだ。草深い野原に、烏帽子に水干の貴族が描かれ、傍らには長い箱状のものが二つ置かれている。上段の説明を読むと次のように記されている。
此野の糸萩(いとはぎ)、花房(ぶさ)も余(よ)の所にかはりて、むかしは爰に錦(にしき)を乱(みだ)し、都人の目にもめづらしく、為仲(ためなか)手折せて長櫃(ながびつ)に入てかへられし。其跡(あと)もかたちも、今は一本(もと)も見へず。広(ひろ)野に小松ばかりありて、秋をしらず。此花の種(たね)元は枯(かれ)て世に残り、仙台(せんだい)の人の庭に咲(さか)せし。
昔この地は萩が咲き乱れていた。その様子が都人には珍しく見え、為仲という人が手折って長櫃(ながびつ)に入れて持ち帰った、と書かれている。『定本西鶴全集』の注にもあるように、源為仲は平安末期の歌人で、逸話は『無名抄』下巻にあるもの。陸奥の守の任を終えて都に帰る際、この萩をめでて長櫃十二棹(!)に入れて持ち帰ったというのである。
続けて『一目玉鉾』は、宮城野は今その跡形もなく、野には小松ばかりが生えているとしている。この箇所に限っては江戸時代の様子ではなく、平安時代の昔をしのんだ挿絵が描き込まれているのであった。