『一目玉鉾』には数多くのお城が描かれている。これらがその構造を正確に表しているのか、城郭に詳しくない筆者には良く分からない。
だが、巻三の「淀の城」だけは筆者にも一目で「あ、淀城だ!」と分かる。その理由は水車が大きく描かれているからである。
淀城は松平定綱が元和九年(1623)〜寛永二年(1625)にかけて建てた平城である。そのシンボルともなっているのが宇治川に接した北面に水車で、多くの和歌や絵画に描かれた。西鶴も『武家義理物語』巻三の一に「やう/\淀の小橋(こばし)を過ぎ、水車の夕浪おもしろく」と記している。
全国の地理を描く『一目玉鉾』であるが、作者西鶴も大坂出身なら出版も大坂。読者も京阪が中心であった事は容易に想像がつく。遠い地の城はともかく、大坂のランドマークとも言える淀城の水車は、さすがに正確に描く必要があったろう。