明石ダコと言えばマダコの代表格である。明石周辺の魚文化を記した好著・鷲尾圭司『明石海峡魚景色』(1989年8月 長征社)もその巻頭に「明石ダコ」を置き、マダコの中でも「速い潮流と豊富なエサで、ボディービル選手のようにがっしりと育つ明石ダコは、名実ともに日本一と評価されます」と記している。
しかし『一目玉鉾』の記述は異なる。巻四の「明石城主」の項には次のように記されている。「大坂より是まで十五里の所なり。此浦の名物、飯蛸、縮布」。つまり記されているのはマダコでなくイイダコなのである。イイダコはマダコに比べて小型で足を含めても20センチほど。卵が飯粒のような形をしているのでそう呼ばれる。マダコとは別種であって混同とは考えがたい。
『一目玉鉾』はおそらく、播州高砂のイイダコの事を書いているのだろう。江戸時代におけるその評価の高さは注目すべきである。松江重頼『毛吹草』(明暦元年〈1655〉刊)巻四は地域ごとの名産を挙げているが、その「幡摩(ママ)」の箇所に載るタコは「高砂飯蛸(タカサゴノイヒダコ)」「二見蛛蛸(フタミノクモダコ)」の二つだけである。また時代は下るが『和漢三才図会』(正徳三年〈1713〉刊)には、播州高砂の産は、頭の飯多し。摂、泉の産は、飯なきものもまた半ばす」と高砂の飯蛸を評価している。
現代の播磨のイイダコは、と、先の『明石海峡魚景色』を見てみると、冬の章の巻頭にイイダコがいた。「播磨の冬の味を演出」とある。捕り方は、「いまでも、巻貝のニシの殻やダボ貝と呼ばれるウチムラサキ貝の殻を縄に連ねて仕掛け、玉子を海にくるイイダコを捕らえます」とある。いまは明石のマダコを押しのける程ではないにせよ、なおも播州の味であるようだ。