top   index 
明星大学所蔵『北野通夜物語』絵巻について
 本絵巻二巻は、『太平記』巻三十五(流布本の場合)の、日野僧正頼意が北野天満宮に参詣し、居合わせた遁世人、殿上人、法師の三人と夜通し政治談義をくりひろげる話を絵巻に仕立てた作品である。『太平記』より独立させて仮名草子としても出版されているが、伝本は極めて少なく、『国書総目録』には二本を載せるのみである。

 「北野通夜物語」の内容は、これを巻三十八として独立させる天正本の目録に従えば、場面を解説する「三人於聖廟物語事」に続き、「最明寺(北条時頼)并最勝恩寺(北条貞時)諸国修行事」「青砥左衛門賢政事」「玄宗奪寧王夫人事」「瑠璃太子亡釈種事」「無熱池多舌魚事」「梨軍支因由事」の五つからなる。本学所蔵の二巻は「青砥左衛門賢政事」の得宗領の訴訟事件のことから、「玄宗奪寧王夫人事」の末尾までに相当する。

 「青砥左衛門賢政事」は、北条時宗・貞時二代の執権に仕えたという引付衆・青砥左衛門の清廉潔白ぶりを、得宗領に起きた訴訟事件を権力におもねることなく得宗領を敗訴とした話、滑川に落とした十文の銭を五十文で買った松明で探させた話、さらに、執権が青砥左衛門に荘園八箇所を与えようした理由が執権の夢に見た神のお告げと聞いて嘆かわしく思い辞退する話で説いている。

 「玄宗奪寧王夫人事」は、唐の玄宗皇帝が、兄寧王の後宮に入るはずであった楊貴妃を奪い取るが、史官が職務に忠実に記録したため、怒って史官の首をはねる。しかし、次の史官も同様に記録し、車裂きの刑に処せられる。続く史官もまた死を覚悟してこれを記録したため、ようやく玄宗は自らの非を悟った。主君を諌める者の存在が今の世にも必要であることを説く話である。

 本絵巻の最大の特徴は、大型絹本絵巻である点にある。現在その存在が知られている大型絹本絵巻は、国宝の清浄光寺・歓喜光寺・東京国立博物館蔵『一遍聖絵』十二巻、宮内庁三の丸尚蔵館蔵『春日権現験記絵』二十巻、大阪・誉田八幡宮蔵『誉田宗苗縁起』三巻、談山神社蔵『多武峯縁起絵巻』四巻など、数えるくらいである。多くは神社仏閣に縁のある作品であり、本絵巻が絹本に描かれたのも北野天満宮を舞台とした話であることと何らかの関係があろうか。とはいえ、軍記物語である『太平記』の一節が絹本絵巻に仕立てられた背景は極めて興味深いと言える。

 本文は、『太平記』流布本系本文とほぼ同文であるが、雄渾な書体で書かれている。挿絵は、巻三と巻四の話の舞台が全く異なるが、いずれも丁寧かつ細緻に描かれている。

 『北野通夜物語』の絵巻・絵本は、中京大学図書館に紙本一巻(二巻構成のうち下巻)が所蔵されているが、その他の存在は知られていなかった。ところが、本年7月の古書入札市において、「北野通夜物語 一」「北野通夜物語 二」の題箋を有する二巻が出品され、本研究グループの複数メンバーが通覧した結果、画風・書風ともに本学所蔵二巻と僚巻であるとの認識で一致した。

 出品の二巻は、題箋の通り、『太平記』「北野通夜物語」の章段の冒頭から始まり、本学所蔵二巻に引き継がれる。「北野通夜物語」の章段全編が絵巻に仕立てられたであろうから、残る本文から推定して、少なくともあと一巻(巻五)、話の構成から見れば二巻(巻五、巻六)が存する可能性が想定できる。本研究が契機となって、後続するであろうまだ見ぬ絵巻の存在が明らかになることを願ってやまない。


研究報告書
    科研費報告書     研究報告書(PDFファイル)ダウンロード

書誌
     
    絹本着色二巻
    紙高巻三 39.2センチ
     巻四 39.2センチ
    長さ巻三 16メートル68,8センチ
     巻四 17メートル47.2センチ
    題箋巻三 「北野通夜物語」
     巻四 「北野通夜物語」
    挿絵巻三 六図
     巻四 六図
    江戸時代前期