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コラム1 なぜ「北野通夜物語」?なぜ巻三・巻四?

【巻数表示が欠けている明星大学所蔵「北野通夜物語」】
 本作品を検索され、「北野」という言葉がひとつもないのに、なぜ「北野通夜物語」なのか、また二巻ものであるにもかかわらず「上、下」でなく、なぜ「巻三、巻四」と表示されているのを不思議に思われた方も少なくないだろう。実はこの絵巻の題箋(だいせん:巻物の表紙に貼ってある題名などが書かれた紙。)には巻数が欠けている。  「北野通夜物語」は、南北朝の争乱を描いた壮大な軍記物語「太平記」の一部である。
 「太平記」の終末近く、「北野通夜物語」は現実の争乱から離れて以下のように展開する。南朝の勢いが衰えた頃、南朝に伺候していた日野僧正頼意(ひののそうじょうらいい)が京都にある北野天満宮に夜通しの参詣をすると、遁世者、殿上人、法師の三人が現れて争乱の世を批判し、理想の政道について語る。頼意は共感をもって彼らの談義に耳を傾ける。「北野」で「夜通し」「語られた物語」なので、「北野通夜物語」と名付けられたと考えられる。
 明星大学所蔵の絵巻には、「北野通夜物語」の中核をなす日本と中国の三つのエピソードが描かれている。すなわち清廉の士青砥左衛門の行い、周王の人徳、玄宗皇帝に仕えた史官の正義についてである。本絵巻は、絵、詞書ともに完成度の高い作品であるが、「北野通夜物語」全体から考えると、途中だけを唐突に持ち出した感を否めない。
 「北野通夜物語」全編を概観すると、これに先立ち頼意の参籠と遁世者、殿上人、法師の人物が描写され、青砥左衛門の人となりが語られる。さらに後には、三人の登場人物によって、古代インドで瑠璃太子が釈氏を滅ぼすこと、それを仏陀が因果の決するところであると示すことなどが語られる。夜が明け、遁世者、殿上人、法師が去ると、頼意はこの三人の話から考えて、今のような乱世も再び収まることもあるかと、期待を寄せて帰り、物語は幕を閉じる。
 われわれ研究チームは、明星大学所蔵の「北野通夜物語」絵巻を調査する過程で、絵、詞書共に明星大学所蔵のものと同一作者と考えられる「北野通夜物語」二巻を確認した。その題箋には、それぞれ「北野通夜物語 一」「北野通夜物語 二」と記されていた。その内容は、「北野通夜物語」冒頭から始まり、青砥左衛門の人となりを述べるところまで。われわれは、その二巻を明星大学所蔵の絵巻に先行する部分であると考え、明星大学所蔵の二巻を「巻三」「巻四」と位置づけたのである。