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コラム3 「白浪五人男」にも登場する青砥左衛門

【廉直の士、青砥左衛門。質素な麻の衣を身に着けている】
 青砥左衛門は本絵巻のエピソードにあるとおり、権力におもねらない名裁判官であり、また物事の理非をわきまえた廉直の士である。太平記には、数十箇所の所領を持ち財産も豊かだったが、自身は麻を粗く織った直垂、麻の大口袴という身なりで、食事のおかずには焼き塩と干した魚だけしか食べない質素な生活を送っていたとある。本絵巻でも、青砥左衛門の衣装は家紋を除き褐色の無地、袴は横方向に大きくジグザグに描かれ、皺のよりやすい麻布であることを示している。
 鎌倉市青砥山、東京都葛飾区青戸などに、邸跡、墓、石碑が残り、執権時頼の引付衆(ひきつけしゅう)、すなわち執権を補佐する裁判官を務めたとされるが、「吾妻鏡」に名前がなく、実在の証はない。現実には存在しそうもない理想的な人物だからか、近世を通じて人気が高く、たびたび浮世絵や歌舞伎に登場する。
 そのうち、本絵巻にも描かれる滑川(なめりがわ)のエピソードを応用したのが「白浪五人男」である。弁天小僧菊之介の名台詞「知らざあ言って、聞かせやしょう」は、歌舞伎ファンでなくとも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。この作品は、幕末の名戯作者河竹黙阿弥によるもので、青砥左衛門は全編の最後に、日本駄衛門を裁く裁判官として登場する。青砥左衛門は、鎌倉の滑川で、落とした銭十文を探すうちに弁天小僧菊之介が落とした香合を拾う。日本駄衛門は青砥左衛門の徳に打たれ、自ら縄にかかる。
 この作品は広く「白浪五人男」として知られるが、正式な題名は「青砥稿花紅彩画」(あおとそうしはなのにしきえ)という。青砥左衛門の名にちなんだものであろう。