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明星大学所蔵『新曲』絵本について





 室町時代に大成した芸能である幸若舞曲三十六番のうち、最後に追加された新しい曲との意から『新曲』と名付けられた詞章を、極彩色の絵本に仕立てたものである。原拠は『太平記』巻十八「一宮御息所の事」で、後醍醐天皇の第一親王尊良親王と御息所の恋を中心に、秦武文の武勇を織り混ぜて描く。

 おおよそのあらすじは以下の通り。

 一の宮尊良親王は、鎌倉幕府の計らいで後二条院の第一皇子である邦良親王が皇太子となったため、失意のうちに暮らしていた。ある時、関白左大臣家の絵合で見た『源氏物語』宇治八宮の女にあこがれ、下賀茂神社参詣の帰り道に源氏物語絵そっくりの女房を垣間見て、恋に悩むようになる。女が今出川右大臣公顕の姫君とわかり意中を伝えるが、徳大寺左大将と婚約していると知って諦めると、徳大寺左大将は身をひき、二人は晴れて夫婦となる。

 まもなく元弘の乱が起こり、土佐国幡多へ流された一の宮は、御息所を迎えるため都へ秦武文を使いに遣る。武文は嵯峨野でひっそりと暮らす御息所を探し当て、尼崎で渡海の舟を待っていたところ、御息所の美しさに目をつけた松浦五郎によって御息所を奪われ、武文は腹をかき切って自害する。御息所を乗せた舟は阿波の鳴門で武文の怨霊が起こした波に行く手を阻まれ、五郎は龍神を鎮めるために小舟で御息所を流し、御息所は淡路の武島に流れ着く。海に流された御息所の衣が一の宮の許に届けられ、御息所の遭難を知った一の宮は悲しみにくれ、御息所の菩提を弔う。公家一統の世となり都へ戻った一の宮に、御息所の生存が知らされ、都へ迎え入れて喜びの再会を果たす。

 原拠である『太平記』「一宮御息所の事」が二人の悲劇的な死で終えるのに対して、『新曲』は、高貴な二人の出会いと別れ、そして再会までである。同じ題材を扱った『中書王物語』(一条兼良作か)との先後関係は不明であるが、原拠と同じ終末を迎える『中書王物語』に対して、『新曲』は再会の喜びでめでたく終えるという点で祝言性が強いと言える。また、本絵本の挿絵に関して、版本で印象的な武文が御息所を背負って逃げる場面や、武文の自害の場面は描かれずに、むしろ船上の御息所に描写に筆がさかれている。御息所の悲しみを強調しているかのようである。

 本文は、わずかに文意が通らない箇所があるが、おおむね幸若舞寛永版本とほぼ同文である。挿絵は細部まで丁寧かつ上品に描かれている。

 『新曲』の奈良絵本・絵巻は、工藤早弓『奈良絵本 上・下』(京都書院、後に紫紅社文庫)に紹介されている横本二冊があるが、幸若舞の絵本・絵巻の中でも、その存在が知られている伝本の数が少ない。

 残念ながら『新曲』は含まれていないが、チェスター・ビーティ・ライブラリ所蔵『舞の本絵巻』(六軸九曲)が題箋に「三十六番舞」と記すように、幸若舞曲三十六番の絵本・絵巻が一揃いで製作された可能性があり、本絵本も含めた全貌がいずれ明らかになることを願うばかりである。


研究報告書
    平成22年度特別研究費報告書     特別研究費報告書(PDFファイル)ダウンロード

書誌
     
    紙本着色二冊
    大きさ縦29・6センチ 横22・2センチ
    表紙新調草花模様の緞子織(改装)
    題箋上冊・下冊ともになし
    挿絵上冊 七図
     下冊 六図(一図は見開き)
       (計十三図)
    江戸時代前期