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コラム4 あばら屋の表現(上巻)

【小綺麗に描かれた宮の配所】
 宮が流された土佐の「この世のうちとも思われぬ浦のあたり」の配所は、文中に「あさましげなる埴生の小屋」と書かれる。どれほど汚い小屋かと思って挿絵を見ると、期待が外れる。屋根こそ茅葺きであるものの新しげな茅はふっくらと葺かれ、柱の木材も竹らしき縁側も新しく整い、床は青畳が敷き詰められている。庭には雑草一本なく、色こそ浅黒いものの仕える人々の身なりもきちんとし、田舎びたり、荒んだりした表現はどこにも見られない。

 これは一条御息所の「垣に苔むし瓦の松も年降りて住み荒らした屋敷」の挿絵でも同様で、詞書とは異なって建物に窶れはなく、庭も雑草はなく庭木の手入れは怠りないようだ。絵とは見て美しく整っているべきもので、醜いものや古ぼけたものは描かないという、この絵師の指向をうかがわせる。

 もっとも、過去の絵巻物の絵師には別の考えを持つ者もあったようだ。貧乏自慢とでも言いたいような『絵師草紙』では、崩れた檜垣や、曲がって閉まらなくなった扉、崩れて木舞の出た土壁や落ちかかった板屋根などが執拗に描かれている。徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』の「蓬生」などは、現在は剥落しているが庭には様々な雑草がびっしりと生え、穴があき腐って落ちかけた縁側が細密に表わされている。楽しげにさえ見えるその描写からは、本文の詞書と同様に、あばら屋に風情を見出す感性があったのではないかと思われる。どちらの絵巻も『日本絵巻大成』や『日本絵巻物全集』などに載っているので、図書館ででも見て、大いに面白がってほしい。