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コラム5 凄みのない武文 荒々しくない松浦五郎(下巻)

【荒々しくない松浦五郎】
【必死の形相には見えない秦武文】
 本文のはじめに述べられるように、『新曲』はまた、死しても主人の御息所を護ろうとした秦武文の物語でもある。しかしこの挿絵の武文は、凄みがない。たった一人で松浦五郎の郎党三十四名を迎え討つ場面でも武文はおっとりとした表情であり、血も殺された郎等たちの死体も描かれない。

 御息所を奪われた武文が腹を十文字に掻き切って死ぬという、物語の頂点とも言うべき場面は描かれず、その寸前の扇を掲げて呼び戻そうとする場面も緊迫感がなく、必死の形相には見えない。さらに荒波の上に現れた武文の怨霊も、不気味さも恐ろしさも感じさせない。

 一方、本文に「見るも恐ろしきむくつけなる髭男の、声いと訛りて色のあくまで黒き」と書かれる敵役の松浦五郎も、挿絵では宮とさして違わぬ髭のない色白の優男として描かれている。この挿絵の中では、血なまぐさいものや恐ろしいもの、醜いものを描くことが、あくまで避けられているのだ。なんと暢気な、などと言わずに、ここでは挿絵の物語を、武文の武勇伝としてではなく、宮と一条御息所との優雅な恋物語として見てやってほしい。