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コラム1 地味派手な金泥彩色 〜セピア色の輝き〜

【金泥を刷いた地面と上下に輝く金砂子の霞】
 「なんと地味な挿絵」この挿絵の図版をWEBで見たときの印象である。墨の濃淡を主とした画面には、口や下着の一部や炎などほんの僅かに朱が差されているだけで、その他の地面や建具にはうっすらと褐色がぼかされているだけに見える。

 しかしこの褐色、実は金を絵具として用いた金泥であり、実際に挿絵を見るときは、わずかな光線を捉えてうっすらと明るく光るのである。しかも絵の上下のざらざらぼつぼつした霞は金砂子、金を薄く伸ばした金箔を細かく砕いて、紙に糊状の膠(にかわ)を塗った上からまき散らしたもの、同じ金でも金泥とは異なり光を受ければ華やかにきらめく、目立たなく見えながら、実は極めて豪華な挿絵なのである。

 それでも緑や赤、青といった極彩色の絵具をふんだんに使った他の挿絵、例えば同じ明星大学本の『文正』絵巻や『新曲』絵本の鮮やかさと比較したとき、地味という印象は免れられない。この色使いは一体、どうして出来たのだろうか。

 極端に彩色を控えてかすかに金泥を刷いたこのような彩色は、王朝絵画の流れを引く江戸時代の土佐派や住吉派の『源氏物語』の挿絵や扇面画などに、時たま見受けられる。原色で描かれた派手な挿絵に飽きた人々が注文した、一味違う瀟洒な私家版といったところであろう。しかし王朝風の『源氏物語』に代表されるこの表現を、隠遁文学である『徒然草』の挿絵が取り入れたのはなぜだろうか。

 隠遁者とはいっても『徒然草』の作者、吉田兼好はかつて宮廷に仕えていた官人であった。失われつつある王朝文化への哀惜の念から、かつての宮中にあった言葉や慣習を書き留めた章も少なくない。考えてみればそれらの挿絵として、淡いセピア色でかすかに輝く金泥の彩色は、いかにもふさわしく思われる。絵師は違うが同じように金泥で彩色されたものに、実践女子大学図書館所蔵の『徒然草』冊子や、『徒然草』の注釈書『なぐさみ草』に基づく、海の見える杜美術館所蔵の『なぐさみ草』絵巻もある。ここでは王朝の残映のような金泥の渋い輝きを、『徒然草』鑑賞にあたっての通奏低音としてほしい。