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コラム10 絵本・絵巻の本文は読まれたか

【「おかしきやうに」を「おかし興に」と記している箇所(右頁、下80ウ)】
 絵本・絵巻を開くとき、多くの人はまず挿絵に目がいくことであろうと思う。絵があることが絵本・絵巻の最大の特徴と言えようから当然のことではある。しかし、絵本・絵巻が挿絵だけで事足りるかといえばそうではない。物語の絵本・絵巻には必ず本文が記されている。物語本文があっての絵本・絵巻でもあるのである。

 ところで、物語絵本・絵巻の本文には誤脱等の問題点が見出だせることが多い。例えば、明星本『徒然草』の本文には、ところどころに文意が通りにくい箇所がある。本文がまとまって脱落していると考えられる箇所である。
 
  
ひとへにすくよかなるものなれば、【はじめよりいなといひてやみぬ。にぎはひ、ゆたかなれば】人にハたのまるゝぞかしと〜(下11ウ、141段)
 
は、【】内がまるまる脱落していると考えられる。単純な写し漏れと考えられる箇所であるが、そのままに放置され、訂正しようとした痕跡が見られない。

 このようなやや長い脱落箇所は他に三箇所あり、ほかにも語句や文字の単位で脱落していると考えられる箇所は少なくない。また、
 
  
まれ人のきやうをうなんども、ついでおかし興にとりなしたるも、まことによけれども(下80ウ、231段)
 
は、底本が仮名表記であった部分の解釈を違えて、漢字を宛てたと考えられる。それともこの表記のままに解釈したのであろうか。

 このような例を見てくると、絵本・絵巻の本文はどの程度読まれたのであろうか、という疑問が浮かんでくる。本文に問題があれば、何らかの書き入れがあってもおかしくない。事実、明星本『徒然草』には本文を補う書き入れが三箇所見られる(下冊後半に集中する)。しかし、それ以外は放置されたままである。放置された箇所はそのままに理解されたのであろうか。それとも積極的に書き入れるような読み方はしなかったということか。書き入れは、読む場合だけでなく、書写の際にも想定できる。誤って写したことに気付いてその場で訂正するということである。けれども、そのような痕跡も含めて、明星本『徒然草』には、総じて書き入れ箇所は少ないと言わざるを得ない。

 絵本・絵巻の本文がどの程度に読まれたのか。にわかには断定しがたいが、一般的に、読まれなかったことも十分にありえたということがひとまずの結論となるだろう。

 ただ、その一方で、絵本・絵巻の本文が読まれたと見なせるものも存在している。その一つが、挿絵が剥がされた「元」絵本・絵巻である。これらは、基本的に物語本文を読むために、挿絵が剥がされた後も保存され、伝えられてきたと考えられるものである。とはいえ、もはや絵本・絵巻とは呼べまいが。