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コラム4 女か男か 〜第三十二段〜

【第三十二段の、相手を送った後で月を見る主人公】
 第三十二段「九月廿日の比」で月を見ていたのは、てっきり女性だと思っていた。話はこうだ。かつてある男と兼好が夜の明けるまで月見に歩いた折、男は「思し出づる所」にしばし立ち寄る。男を送り出した後、相手は妻戸を少し開けてそのまま月を見ていた。物陰から見ていた兼好は、人を送り出した後の誰も見るはずのない場面での心遣いに心打たれる。

 女が人知れず月を見て出て行った男を思う場面は、『伊勢物語』の「河内越え」にもあり、そこでは出て行ったはずの男が物陰から女を見て惚れ直す話になっていた。この話でも男の相手が女とこそ書かれてはいないものの、男が月夜に「思し出づる所」といえば女だろうと思ってしまうし、さらに物陰から見ていた兼好はその女に岡惚れしたのだろう、と想像をたくましくする。江戸時代も、現代の訳本も参考書でも、たいていは女として解釈されている。

 しかしこの挿絵で、男を送り出して月を見ているのは、男である。本図の手本とされた『なぐさみ草』の挿絵が、この人物を男として描いているのを踏襲しているのだ。多くの徒然草絵では一般的な解釈に従い、この場面の男のみは女性に変更して描かれているという(島内裕子『徒然草文化圏の生成と展開』)。

 それにもかかわらず、明星本は『なぐさみ草』に忠実に、あくまで男が男を訪問した場面として表される。客を送り出した後でひとり月を眺める男はていねいに描かれ、うっとりとした顔は、なるほど兼好の心に残るほどの風情に満ちあふれている。