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コラム7 行儀の悪いポーズ

【外を眺める兼好法師】
 明星大学本では間違って他の個所に貼り込まれているが、『徒然草』下巻冒頭、第百三十七段の「花はさかりに」に対応するのがこの絵である。あらためて見てみると、この兼好の姿勢、なんだか行儀が悪くないだろうか。

 なにも正座をすることもないし、出家したからといって結跏趺坐の必要もあるまい。「徒然なるままに」随筆を書いているのだから、盛りでない時期の花や月に「あはれ」を感じ取っているところだから、固く構えることはないとも思う。それでも左ひじを脇息につき右膝のみを立て、斜に構えた姿は、ちょっとだらしなさ過ぎるのではないか。

 実はこのポーズには、先例がある。鎌倉時代の京都国立博物館所蔵などある種の柿本人麿像である。こちらは右ひじを脇息に載せ、左足を立てるので兼好とは左右逆であるが、体をひねって半ば後ろを向く姿勢はそっくりである。当時は和歌の神として祀られていた柿本人麻呂像の構図を借りたのであろう。

 その人麻呂像にもさらに先例がある。この手の人麻呂像が「維摩系」と呼ばれるように、中世に中国で描かれた維摩居士図のポーズと左右を逆にすると一致するという。維摩は釈迦の在家の弟子で智慧に優れていたといい、病気になったとき、釈迦に命じられて見舞いに行った文殊菩薩と問答をしたことで有名である。維摩像は恐らく、この場面を描いたものであろう。

 原本が、病人が病を押して見舞いの者と問答をする場面であれば、姿勢が崩れているのは当然である。その構図を借りた兼好の行儀が悪くなるのも、やむを得ないのである。